■ 『82歳の日記』 探しものが毎日あって腹が立つ    (2021.9.16)






メイ・サートン(1912-1995)は、ベルギー出身のアメリカの小説家・詩人。日記シリーズ(『独り居の日記』、『74歳の日記』とか)でも知られている。
日本にも彼女のファンは多いようだ。著作は初めて手にしたのだが、この『82歳の日記』は最後のものか。
この時期、著作への意地の悪い書評とか、乳がん転移の恐怖などが重なり、彼女にはつらい状態でもあったようだ。






本書の裏表紙には、要領のよい内容あらましが載っているので、主文を引用してみよう。
   1994年8月、日記を書き終えたサートンはまもなく闘病生活に入り、1年たらずで亡くなった。
   長いあいだ、友人たちの手を借りながらも独り居の頑張りをつづけていたが、
   体調不良と死の予感とともにようやく<老い>を受け入れ、それでも最後までこの家に居たいと願って、日常をありのままに、ときにユーモラスに記録しつづけた。
   気鬱と闘いながら「すこしずつ手放すこと」を学び、いっぽう想念は時間も空間も越えて、少女時代にまで、あるいはサラエボにまで広がる。


ひとつひとつの言葉が心に響く。まもなく当時の彼女の年齢に近づく身としては……

◆いまのわたしのように紛れもなき老齢期に入ると、
この暮らしを維持し、生かしていくために、いかに日々の枠組みというものが重要か、ますます気づくようになる。
きちんとした日課がなければ一日は崩壊し、混乱するばかりになるだろう。

◆久しく途絶えていた旧友たちと会って、きのう会ったばかりのように仕事の話をするのはなんとうれしいことか。

◆仕事の手紙のコピーを取ろうとして、たった1枚の手紙を探すのに1時間を空費した。
探しものが毎日あって腹が立つけれど、どれだけきちんと整理していなければならないか、ということなのだ。
どこかへ何かを置き忘れるのは、わたしがまだ複雑な人生を送っている証拠として受容すべきなのかと思う。

◆いまレコードをかけ、ジャネット・ベイカーが歌う、フォーレの歌やショーソンの心ゆさぶる「海に寄せる愛の時」を聴いている。

◆きのうはかなりショックなことに、小さな車の事故を起こした。一瞬意識を失ったのかもしれないとは思うけれども。
進路を内側に変えたとき、正面から来る車にぶつかりそうになった。相手の車のフェンダーがすこしへこんだ。ありがたいことに誰も怪我をしなかった。

◆壮麗な一日のはじまり、このごろは毎日、日の出の美しさに歓喜している。
いつも早朝6時ごろ、猫に餌を与えるために起きてみれば、空はいちめんのオレンジ色に染めあげられていて、それはみごと、美しきものの存在がわたしの暮らしを幸福にする。

◆日本からは『夢見つつ深く植えよ』の翻訳の申し出があって、多額の前払い金が入る。そんなに本を出す予定のない来年は、とても助かる。


● 『メイ・サートン 82歳の日記』 中村輝子訳、みすず書房、2004/7

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