■ 新国立劇場 《オテロ》 (2003.6.15)

ヴェルディの《オテロ》、新国立劇場 2003年6月12日(火)。
・オテロ ウラディーミル・ボガチョフ
・デズデーモナ ルチア・マッツァリーア
・イアーゴ ホアン・ポンス
・ロドヴィーコ 彭康亮
・カッシオ 吉田浩之
・エミーリア 手嶋眞佐子
・ロデリーゴ 市川和彦
指揮:菊池彦典、管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

舞台演出は、1987年初演の英国ロイヤルオペラのものを持ってきたとのこと。エライジャ・モシンスキーの演出。いまパイオニアから発売されている、ショルティ−ドミンゴのDVD(PIBC-2020)と同じ演出ですね ( ← ジャケット写真)。さすがに舞台は荘重で立派。大理石の太く大きな柱が終始存在感を示す。ほとんど全幕がこの4本の柱の枠取りの中で演じられる。

イアーゴのホアン・ポンスが良かったですね。いかにも悪人然としたいやらしさが前面に出ていました。オテロのウラディーミル・ボガチョフは今一ではなかったでしょうか。演出にもよりますが、ちょっと小粒でオテロの英雄性は希薄です。

問題は、東フィルだったのではないでしょうか。緊張感が不足していたのではと思います。特に金管のアンサンブルはもの足りませんでした。単なる伴奏に陥っていたのでは?翌々日の14日、N響の《エレクトラ》を聞いたので、さらに落差にがっかり!

また、第4幕の冒頭でちょっとした事故がありました。なかなかオケの演奏が始まらず、どうしたのかと思っていると指揮者の説明がありました。「コールアングレがつまってしまって演奏できない……」とか。女性のアナウンスで、コールアングレが不調のため、ファゴットで代わるとありましたが。

それにしても新国の4階席・最前列は手すりが視界を妨げてストレスが大きい。かなり視野がけられます。

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■ オペラコンチェルタンテ・シリーズ 第20回記念公演 ヴェルディ 《オテロ》 (2000.8.18)

指揮 大野和士 東京フィルハーモニー交響楽団
演奏会形式のオペラコンチェルタンテは《オテロ》にぴったりではないでしょうか。スペクタキュラーな第1幕を除けば、オテロとイアーゴ、オテロとデスデモナなど対峙する2人の心理葛藤がドラマの中心を占めますから。指揮者と歌手の連携も容易ですね、同一平面上のすぐ脇にお互いがいるのですから。

オペラ公演ではピットの中に隠れてしまうオーケストラが舞台の上ですから、指揮者の様子がはっきりとわかります。大野さんの俊敏な指揮に感心しました。そして晩年のヴェルディが練達の腕をふるったオーケストレーションを充分に堪能できます。特に《オテロ》はそれまでのヴェルディの作品と違ってオーケストラに実に緻密な要求をしていると思います。細かな心理描写も可能です。デメリットは、当然ですが、歌手がオーケストラの強奏に埋もれてしまうときがあること。

全幕を通しての演奏ポリシーは「オテロ・デスデモナ2人の愛のドラマ」ということでしょうか。至高の愛が死によってさらに高まる。ほかに強い主張は感じられませんでしたが。もちろん緊迫度の高い演奏でした。

オテロ (テノール ジョン・カイズ) 冒頭の登場場面にちょっと失望しました。意外と声量がないなという印象を受けてしまいました。さすがに幕が進むにつれて経験豊富な演技力の確かさはわかりました。でもイタリア語をもごもご発音しているな、という感じがありましたが。

デスデモナ (ソプラノ 緑川まり) 声質が悲劇のヒロインにぴったり。最終幕は聞かせました、熱演です。

イアーゴ (バリトン 福島明也) 本日のベストです。声量もありました。もう少しどす黒さが出たらすごいですね。

オーケストラには頑張って欲しいと途中で何回か思いました。もう一歩の切れ味とリズム感が欲しい。もっとも、事前に聞いたトスカニーニの演奏の刷り込みが強すぎた影響で採点が辛くなってしまいました。《オテロ》では金管とか、オーボエとかの木管に心理描写を託す場面が多いと思います。音程がふらついたり、ぶっきらぼうに演奏されると残念です。これから新国立劇場での活動も増えます、劇場オーケストラとしての成長に期待したい。



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