■ 『トラクターの世界史』 人類の歴史を変えた (2017.12.29)







子供のころからトラクターのメカメカしさにあこがれたものだ。本書は、あの力強い雄姿に無骨な歴史が隠れていることを教えてくれる。

土を耕すことは、保水能力と栄養貯蓄能力を高め、さまざまな生物のはたらきを活性化させる。土壌を掘り返す道具として、人類はクワやスキを使ってきた。やがて牛・馬が道具を牽引するようになる。この農作業の風景が劇的に変わったのはここ百年のこと。変革の担い手こそトラクターであった。






トラクターは、土を耕す苦役から人類を解放し、作物の大量生産を実現した。近代文明のシンボルとして世界中に普及する。だが、一方で新たな問題を生み出した。農民や宗教界の拒絶、化学肥料の大量使用、土壌の圧縮、そして購入のための多額のローンなどである。
トラクターを開発したのは、アメリカのフローリッチという技師。1892年のこと。内燃機関を搭載していた。すでにイギリスでは蒸気機関を用いた自走式トラクターは作られてきたが、それよりも安全で軽量のガソリン機関を搭載したものは初めてであった。そして、トラクターの大量生産に成功したのは自動車王ヘンリー・フォードである。1917年にデビューした二輪駆動トラクター「フォードソン」は、アメリカ全土でのシェア77%にとどまらず、世界各地に普及する。20世紀以降の急速な農業技術発展や爆発的な人口増加を支えるようになる。

もう一つの顔がトラクターにはあった。第1次世界大戦の膠着状態を打破するべく、イギリスやフランスは戦車の開発を進めていた。農業用の履帯(無限軌道=キャタピラ)トラクターから着想を得ていたのだ。トラクターと戦車は双生児だ。イギリスでの開発はチャーチルが主導し1916年には実戦に投入された。第2次世界大戦中には各国のトラクター工場は戦車工場として転用された

アイルランドの技師ファーガソンは、3点リンクのメカニズムを開発しトラクターを格段に進歩させる。この発明は、作業機との連結部を3点にして、油圧シリンダーによって、さまざまな地面状況に対応して、作業機を上げ下げできるようにしたものだ。トラクターの転倒しやすさを克服するとともに、土壌の性質に適合した攪拌・砕土を可能にした。

日本は、20世紀後半にはかつてのトラクター後進国から先進国へと劇的な変貌を遂げる。歩行型トラクターは、1920年頃からアメリカやスイスから輸入されたが、水田耕地の負荷運転に耐えられなかった。その後の自主開発には開発者が悪戦苦闘を重ねる。藤井康弘は、歩行型トラクターを研究し1932年には、日本初のロータリー式歩行型トラクターを完成する。植民地や北海道でも使われるようになる。小松製作所なども、歩行型トラクターに取り組む。



1959年には、本田技研工業から新型耕耘機が発表され、歩行型トラクター業界にホンダ旋風が吹き荒れる。ワンボディ型で従来の半値。オートバイの技術の蓄積をトラクター開発に生かし徹底した合理的生産方式によって価格を下げた。スタイルも洗練されていて市場でも高評価を受ける。続々とメーカーが参入し輸出市場を席巻する――クボタ、ヤンマー、イセキ、三菱農機など。



トラクターは社会主義陣営にせよ、資本主義陣営にせよ、農場を巨大化した。無視できないのが社会的費用だ。環境破壊、石油の採掘、事故の多発、振動と騒音、運転手の健康の影響など。ダストボウルにみられる土壌浸食も世界中の農民を悩ましている。なによりトラクターは技術転用によって戦車にもなることに留意しなければならない。


◆『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』藤原辰史、中公新書、2017/9

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