■ 『物語 オランダの歴史』 日本近代化のカギはオランダ語だった  (2017.6.27)







大航海時代の前後からから現代まで、本書はオランダの歴史をダイジェストしたもの。それも人物に的を絞って、政治、経済、絵画、日本との交流などを描いている。タイトルに"物語"が付く所以である。オランダの17世紀は黄金時代と呼ばれる。経済的繁栄もさることながら、多彩な文化活動によるところが大きい。とりわけオランダ絵画の印象が強い。レンブラント(1606ー1669)の《夜警》、それにフェルメール(1632-1675)の《真珠の耳飾りの少女》など名画の数々が目に浮かんでくる。



主体的には触れられていないのだが、本書ではオランダの歴史の影の部分にも目を配っている。奴隷貿易とか植民地政策だ。オランダの東インドに対する容赦ない搾取の代名詞となるのが、強制栽培制度である。コーヒー、サトウキビなどで莫大な利益を上げた。中央政府の税収額の30パーセント強を占め、全国に鉄道網を押し広げた時代もあるという。第二次世界大戦後も東インド植民地を手放すつもりなど毛頭なかった。オランダがようやく東インド植民地の主権を放棄し、インドネシア共和国の独立を正式に承認したのは1949年のことである。それも、共産主義の蔓延を警戒した、アメリカの圧力によるところが大きかった。

さらに、とくに大きな興味をひいたのが、”歴史”とはちょっと距離を置くのだが、"蘭学"に対する著者の主張である。明治初期の、西洋からの諸学問の導入期に、蘭学の果たした役割が大きいというのだ。日蘭関係は16世紀末から鎖国まで。江戸期には蘭学の繁栄期をむかえた。出島を経由したオランダ書が翻訳され流布するようになる。前野良沢と杉田玄白による『解体新書』(1774年刊)が代表例だ。

オランダ語の単語がそのまま日本語として定着したものには、江戸時代に約350ある。医療関係では、アルカリ、アルコール、カンフル、ギブス、ピンセット、マラリア、メス、モルヒネ、……など。航海術関係では、コンパス、タラップ、デッキ、ドック、ブイ、マスト、マドロス、……などが列挙される。

直接日本語になった言葉と並んで、注目すべきは、オランダ語の単語を構成要素に分割し、それぞれに漢字を当てて再び組み合わせて作った新しい言葉である。
たとえば、オランダ語のzuurstof は zuur(酸っぱい)とstof(素材)の組み合わせだから、これを酸素とした。同様にwater(水) + stof は水素、kool(炭)+ stof は炭素とした。
また bind(結ぶ) + vlies(膜)、 hoorn(角) + vilers、 net(網)+ vlies
→これらはそれぞれ 結膜、角膜、網膜となる。この眼に関する3つの専門用語は英語ではそれぞれ conjunctiva、cornea、retina であるから、もし英語が先に日本に入っていたら、今日のような「〜膜」というそろった訳語にはならなかっただろう。そもそも適訳を見つけるのに苦労したはずである。

元来、オランダ語は16〜17世紀に近代科学の叙述を可能にするために、平易な日常語を繋ぎ合わせて次々に造語を行った言語なのだ。数学者のシモン・ステファン(1548ー1620)が尽力し、さまざまな学術用語を新たに造り出し、著作をオランダ語で出版し普及させた。オランダ語こそ物理学や化学などの研究にふさわしいというのがステファンの主張だった。
既知の語と語を繋ぎ合わせて新しい複合語を作ることによって、複雑な考えを精妙かつ正確に表現することが容易だったからだ。例えば、vierkantswortel(viekant正方形+wortel根)は平方根を意味する――ステファンの造語の一例である。

著者の見解は、日本人が本格的に取り組んだ最初の西洋語が、このような特徴を持つオランダ語でよかった、ということだ。明治以降、さまざまな言語とともに西洋文明が本格的に流入してくる前に、科学技術に関わる基本的な用語がオランダ語経由ですでに日本語に訳出されていたことは、日本の近代化にとってきわめて有利に前提になった。オランダ語が西洋研究のための跳躍台になったのだ。


◆『物語 オランダの歴史 大航海時代から寛容国家の現代まで』 桜田美津夫、中公新書、2017/5

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