■ 『ニッポンの書評』 書評は読者にむかって書かれなければならない (2011.610)




大げさな書名にちょっと腰がひけてしまったが、著者の書評観とは次のようだ。
@自分の知識や頭の良さをひけらかすために、対象書籍を利用するような「オレ様」書評は品性下劣。
A贈与としての書評は読者の信頼を失うので自殺行為。
B書評は読者にむかって書かれなければならない。


さらに、粗筋紹介も"評"のうちだという。
本の内容を正確に深く理解している書き手による粗筋紹介と、トンチンカンな解釈しかできていない書き手の粗筋紹介は
「これが同じ本について書いたものなのか」というほど違う。
粗筋と引用だけで成立していて、自分の読解をまったく書かない原稿があったとしても、
その内容と方法と文章が見事でありさえすれば立派な書評だと今は考えているとのことだ。


「書評は情報である」との立花隆の言葉に言及している。肯定するとともに、情報がしっかりしてるだけの書評じゃ満足できないという。
「読み物」としての面白さを書評にも求めたいということらしい。


立花隆の言葉をきちんと引用しておこう
<『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術驚異の速読術』から>
私の書評は、ひたすら、私のすすめる本の中身についての情報を詰め込んである。
できるだけムダを省き、有効情報だけを圧縮して、濃密に詰めこんである。情報の中心は、その本が読む価値があるか否か。
読む価値があるとして、どの点においてあるのか、である。それをできるだけ、要約と引用によって、本自体に語らせるというスタイルをとっている。
私自身の批評的コメントはできるだけ少くしている。
目標は、読む人にその本を読みたい気持ちを起こさせ、本屋の店頭にあったらそれを手にとってみたい気持を起こさせるところにある。


◆『ニッポンの書評』 豊崎由美、光文社新書、2011/4

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