■ 『DNAで語る日本人起源論』 ミトコンドリアDNAの解析でわかった (2017.3.2)







私達はどこから来たのか。現生人類(ホモ・サピエンス)20万年ほど前にアフリカで誕生し、6万年前にはアフリカを出て世界の各地に拡散したという。DNA研究によって明らかになったそうだ。本書には、およそ700万年におよぶ人類進化の道筋とともに、日本人の由来が示されている。精緻なデータと共に興味深い話題が提示されている。



アフリカから世界各地に展開したホモ・サピエンスは採集狩猟民だった。初期の拡散は、いわばテリトリーの拡大過程といえる。その後の後期旧石器時代の数万年にわたる気候環境や地形の変化による採集狩猟民の移動によって基礎が作られた。
ヨーロッパ先史時代のもっとも劇的な出来事は、およそ1万年前に中東で起こった「農耕の発明」だろう。ここから急激に人口が増え農耕民の周辺への移住が始まり、採集狩猟民との融合がおこった。全ヨーロッパ大陸にこの影響が広がり集団の遺伝的な特徴を大きく変えた。その結果、現在に続く地域の大まかな遺伝的な構成が完成した。

15世紀以降の大航海時代をむかえて、人びとは経済的な要因によって動くようになる。新大陸とアフリカ、ヨーロッパを結んだ貿易は膨大な数の人間の移住を促した。新大陸ではそれまでの数万年で形作られていた集団の遺伝的な構成を大きく変えることになる。現代は、この15世紀に始まった人類移動の時代に位置づけられる。これ以降は、人類の遺伝的な構成は均一化の方向に進んでいる。交通や通信手段の発達による地球規模での経済活動が国家の境界をなし崩し的にとり払っているのだ。

日本は江戸時代に鎖国政策をとったことで、いったんは世界の潮流から外れた。明治以降の歴史のなかでは再び世界的な人類移動の波にのみこまれていくことになった。日本のみならず世界はますます均一化し地域集団間の遺伝的な特徴が解消されることは間違いない。
700万年もの人類史を復元するのに、中心的な役割を果たしてきたのは、DNA解析――ミトコンドリアDNAの変異の研究――である。ミトコンドリアはエネルギーの産生の役割を担っており、一つの細胞のなかには数百から数千のコピーがある。ミトコンドリアのDNAは母親から子どもに伝えられ、さまざまな変異を生み出す。これらを解析しグルーピングするとると、人類の起源や拡散を知るための重要な裏付けとなる。

1987年に発表された「ミトコンドリア・イブ仮説」によって一躍有名となった。この論文では、全人類の母系の共通祖先は、約20万年前のサハラ以南のアフリカに存在したと結論づけている。現生人類の祖先はアフリカで誕生しその後世界中に伝播していった、という「出アフリカ説」の源流だ。      → 【参考 『イヴの7人の娘たち』

出アフリカを成し遂げた人類はごくわずかであったという。数百から数千人だったと。6万年前にアフリカ東海岸に住んでいた小さな集団が成し遂げた出アフリカは、ホモ・サピエンスの歴史の中で最も偉大で重要な冒険だった。出アフリカのあと、数万年をかけて世界の隅々まで拡散する。この6万〜1万年前の間は最終氷期と呼ばれ気温が低かった。極地方や高山地域には氷河が発達し海水面は低下した。陸地が拡大し人類はそこを生活の場とした。





日本人の成立には、東アジア集団の成立と拡散が直接関係する。4万〜3万年前にはアジア全域に人びとが居住するようになった。東南アジアから北上して、さらに東アジアや北東アジアに展開した。ユーラシア大陸の東側にはヒマラヤ山脈を除くと往来を阻む地理的な障害がほとんど存在しないので、人の移動はかなり自由であった。そのためこの地域の集団の成立は非常に複雑な様相を呈した。歴史時代を通じた人の移動もかなりあり、現代人のデータだけからでは過去の移動の様子を知ることには限界がある。

大陸との地理的な関係から旧石器時代の日本列島に到達するには3つの経路が想定される。
@シベリアから北海道を通って日本へ至るルート。最終氷期最寒期の移動として考えられている。他の2つに比べ、時代的にはやや新しい
A朝鮮半島を経由するルート
B南方からの渡来ルート。さらに古い時代から大陸と列島の経路として存在していたと想定される。旧石器時代から往来があったよう。人骨の証拠からルートが検証できるのは現時点では、この琉球列島を経由するルートだけ。4万年ほど前の後期旧石器時代には現生人類が日本列島に居住していたと認められる。


現代の日本人につながる人びとは5000年前に大陸のどこかで人口を増加させはじめ、その後に日本列島にやってきたと考えられる。この時代大陸では揚子江流域に稲作を主体とする農耕文化が起こっていた。そこから農耕が周辺に伝播し2000年をかけてその波が日本列島に到達して弥生時代の幕開けを引きおこしたのだろう。

水田稲作農耕を生業とした集団が朝鮮半島から北部九州や山口県を中心とした地域に進入し、本土日本は縄文から弥生時代に移行する。彼らは稲作とともに、金属器の加工技術をもつ、当時の最先端の農業と工業の技術を備えた人々だった。弥生時代の開始期は放射性炭素年代測定法の進歩によって従来言われていた紀元前3世紀よりも数百年さかのぼる。
これまでの結果から、本土日本人に関しては基層集団の縄文人と渡来系弥生人の混血によって、遺伝的な枠組みが作られたと考えられる。渡来系弥生人の遺伝的な要素は大陸の比較的狭い地域からもたらされたらしい。江戸時代までには全国的に遺伝的な交流の結果が行き渡たり、現代日本人と同じ遺伝的な構成が完成したと判断される。


◆ 『DNAで語る日本人起源論』 篠田謙一、岩波現代新書、2015/9

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