■ 『モーツァルト=翼を得た時間』 新しい発見が聞こえる (2008.11.11)



本書は原本が既に1988年に刊行されている。著者・磯山雅さんのほかのバッハ関連の著作と同様に、新鮮な読後感を得ることが出来た。また、厳密を旨としながら読みやすい誠実な文体が印象的である。

例えばモーツアルトのト長調へのこだわりである。《魔笛》のパパゲーノのアリアがト長調で書かれているように、モーツァルトは、ト長調で発想するときに、もっともみずみずしい翼を得るという。《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》もそうだ。モーツァルトほどト長調の世界を愛好した人はいないだろうと。

モーツァルトのオペラには、《イドメネーオ》ばかりでなく、実際の親子が登場しない場合にさえ、父子関係に相当するモチーフを発見できるものが少なくないという。それに、《ドン・ジョヴァンニ》にせよ《フィガロの結婚》にせよ、その関係が屈折して複雑であればあるほど、モーツアルトの表現が冴えを増すのだ。

モーツアルトの最後のピアノ協奏曲(第27番・K595)にもびっくりだ。この曲を聞くと透明な秋空を思わせるイメージが端々からわいてくる。とてもモーツアルトが当時、金銭的にも困窮の極にあったとはうかがい知ることができない。かつての華やかな名声を失い肉体的にも疲弊していた最晩年の厳しい環境のなかからこの名曲が生まれたとは。

ところが、音楽学者アラン・タイソンによれば、このピアノ協奏曲の大半は、従来言われていたようにモーツアルトの最晩年(1791年)に寂しく書き上げられたものではないという。すでに1788年に第3楽章の途中までが作曲され、91年はその完成と「自作品目録」への記入が行われたにすぎないと。タイソンは、この協奏曲に使われた用紙を綿密に分析したうえで報告しているそうだ。

88年は、第39番・40番・41番《ジュピター》が作曲された、いわゆる三大交響曲の年である。従来この協奏曲には最晩年の澄みきった境地があるとされた。タイソンの新説が強い実証的根拠をもって登場したことは、震撼させる出来事であったと、著者・磯山雅さんは言う。われわれは、何を聴いてきたのであろうか?研究者や聴衆はもちろん、直感にすぐれた演奏家たちでさえ、この曲が最晩年のモーツアルトの心境を語っている、とする見方に反対する人たちは、ひとりとしていなかったのだから。

こうした世界を、モーツアルトは三大交響曲の時点で、すでに覗いていたのではないだろうか? モーツァルトはこの年に、自分の死を覗き見るような、特別な体験をしたのかもしれない。そしてその体験を通じて、モーツアルトは人生に対し何かふっきれるような感覚を得たのだ。 88年にすでに、モーツアルトの最晩年が始まっていたのだと。

◆『モーツァルト=翼を得た時間』 磯山雅、講談社学術文庫、2008/10

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