■ 『印刷博物館とわたし』 スタンホープの革新があった  (2021.5.10)





著者の樺山紘一さんは歴史学者と承知していたのだが。「印刷技術」にも広く精通し歴史的視野をもっていたようである。
2005/10月には凸版印刷が運営する印刷博物館に館長として迎えられた。

活版印刷は1450年代にグーテンベルクによって登場した。基盤技術は、鋳造活字とプレス型印刷機だ。
その後、印刷はドイツからフランスへと急速に広まった。イタリアには1460年代に伝達された。
ヨーロッパにおいて印刷技術はやがて活版印刷と版画印刷という2つの手法を獲得し、のち数百年に渡って、
文字テクストや画像を大量に複製・流通させるに至った。文化と社会の全般に変化と進歩を促進してきたのだ。




1753年には蒸気機関がワットによって開発され産業革命の時代を迎えた。印刷技術は大きな変革点を迎える。
イギリス人チャールズ・スタンホープによる活版印刷機など著名な改良機が相次いだ。
鉄製の手引き印刷機の登場は作業の安定性を大きく改善した。動力印刷機の発明は1814年だ。
手動印刷機から輪転機へと進展する。活字そのものにかかわる改良としては活字鋳造機の開発がある。
グーテンベルクの技術体系は根底から改編されたと言える。

このスタンホープの印刷機は印刷博物館に所蔵・展示されている。スタンホープは1753年ロンドン生まれ。
スイスに留学し哲学と科学を勉強した。印刷機を始め、数学から土木にいたるあらゆる科学・技術上の課題に挑んで多数の発明と発見を行った。

6世紀中国にあってはすでに、木版の整版印刷が始まっていた。木活字から金属活字まで、15世紀以前に実用化されていた。
これはグーテンベルクの活版印刷に先んじるものだ。朝鮮における同様の発展を含めて東アジアの印刷文化の早期の展開はめざましかった。

日本では木版による印刷が奈良時代から行われてきた。活版印刷へと新たな技術の採用は16世紀のキリスト教宣教師によるものだ。
ヨーロッパからの印刷機を使用して20点におよぶ活版印刷を完成させた。
また、16世紀末の朝鮮出兵の際に半島から金属活字が持ち込まれたことがあった。
家康は鋳造活字に興味を示し唐代初期の『群書治要』などの印刷出版を行った(「駿河版」と称する)。木活字だけは江戸時代にあって堅実に継承されていった。

本木昌造は日本における近代活字製造の鼻祖である。ヨーロッパの活字・活版技術を、異なる文字体系である日本語文字に適用するには大きな困難があった。
宣教師ウィリアム・ガンブルに出会によって、新たな方式による日本語活字字母の製作に成功したのだ。

◆『印刷博物館とわたし』 樺山紘一、千倉書房、2020/10


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